Qのブログです。星や音楽が好きです。好き勝手に書いてます。2007年12月より開始。
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チョコばななもバナナジュースも、豆乳バナナ味も好きだけれど、圧倒的によしもとばななさんが好きだ。(食べ物と比較するのが失礼かもしれませんんん)
彼女と彼女の父の対談を読んでああ、いいなと思う。愛し愛され親子。
『彼女について』を読みながら、一つの出来事を自分の体ではどのように捉え、一つの出来事に何を連想したのかをよしもとばなな小説のごとく喋れるようになりたい。
と思って、自らを思い返すと私は人の話を聞くのがすきでほとんど頷いて笑ってばかりな気がする。と、友達に言えばそうでもないよ!!!と返ってくるかもしれないのだけれど笑
あと、私はばななさんの小説の何が好きかいうと、ストーリーもそうなのだが、登場人物のものの見方や感じ方が特に好きだ。きっと、それは小説を書いているばななさんの感性が澄んでいていることの現れだろうと思う。
もし、私が関東に住んでいてよくぽやっとでも彼女のことを考えていたとしたら。本を読むためにたまたま入っていたスタバの窓際の席から、すぐ目の前を横切る彼女の姿をみることができるかもしれない。引力的な何かで300年ぶりに地球に接近した彗星のごとくね。それで私はまだ飲み終わっていないコーヒーもほっぽり出して、急いで店を飛び出して彼女が歩いていった方を見る。人人の間に小さな後ろ姿がまだみえるんだけれど、ああ、ファンに声をかけられるのは億劫か、と思ってひとりで笑ってまぁいいか!と店からはなれて、適当に公園を散歩しながら帰るだろう。って位くらいに親しみを感じまた尊敬している。
「札幌に博物館をつくろう」の集まりに誘われる。生憎私にあるのは博物館や美術館を好む趣味だけで特別な知識など持ち合わせていないのだ。だた、歴史の浅い札幌という整った綺麗な街が新しい美術や音楽や文化を発信していく土地になればいいなと望んでいるので、参加しても、いいよね?なんて、緊張しつつも、何を着ていこう、いったいどんな方達が集まるのだろうと楽しみな今日この頃です。
彼女と彼女の父の対談を読んでああ、いいなと思う。愛し愛され親子。
『彼女について』を読みながら、一つの出来事を自分の体ではどのように捉え、一つの出来事に何を連想したのかをよしもとばなな小説のごとく喋れるようになりたい。
と思って、自らを思い返すと私は人の話を聞くのがすきでほとんど頷いて笑ってばかりな気がする。と、友達に言えばそうでもないよ!!!と返ってくるかもしれないのだけれど笑
あと、私はばななさんの小説の何が好きかいうと、ストーリーもそうなのだが、登場人物のものの見方や感じ方が特に好きだ。きっと、それは小説を書いているばななさんの感性が澄んでいていることの現れだろうと思う。
もし、私が関東に住んでいてよくぽやっとでも彼女のことを考えていたとしたら。本を読むためにたまたま入っていたスタバの窓際の席から、すぐ目の前を横切る彼女の姿をみることができるかもしれない。引力的な何かで300年ぶりに地球に接近した彗星のごとくね。それで私はまだ飲み終わっていないコーヒーもほっぽり出して、急いで店を飛び出して彼女が歩いていった方を見る。人人の間に小さな後ろ姿がまだみえるんだけれど、ああ、ファンに声をかけられるのは億劫か、と思ってひとりで笑ってまぁいいか!と店からはなれて、適当に公園を散歩しながら帰るだろう。って位くらいに親しみを感じまた尊敬している。
「札幌に博物館をつくろう」の集まりに誘われる。生憎私にあるのは博物館や美術館を好む趣味だけで特別な知識など持ち合わせていないのだ。だた、歴史の浅い札幌という整った綺麗な街が新しい美術や音楽や文化を発信していく土地になればいいなと望んでいるので、参加しても、いいよね?なんて、緊張しつつも、何を着ていこう、いったいどんな方達が集まるのだろうと楽しみな今日この頃です。
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正直な人が好きな人は、少なくとも敏感な人だ。
鈍感は人は、人がどうであろうと気にしない。
敏感な人は
相手を見抜く力があってその上で気を遣ってしまう。
もしくは、相手のことを自分のように想像して消耗してしまう。
・・・のかもしれない。
ああ、なんだかうまくまとめられない。でも書かないと忘れちゃう。
就職でも、その求人に沿った希望の人(もしくは何らの理由で選択した人)が来るように、
人間でも、その人の性質を求める人が集まる。
とすると、どんな人が集まってほしいかを逆算して自分を矯正することもできる。
けれど、私は不器用なのでありのままでしかあれないし、
いま集まってくれる人たちをとても大切に思っている。
だから、せめて今いる人たちとずっと引力しあえるようにあろう。
鈍感は人は、人がどうであろうと気にしない。
敏感な人は
相手を見抜く力があってその上で気を遣ってしまう。
もしくは、相手のことを自分のように想像して消耗してしまう。
・・・のかもしれない。
ああ、なんだかうまくまとめられない。でも書かないと忘れちゃう。
就職でも、その求人に沿った希望の人(もしくは何らの理由で選択した人)が来るように、
人間でも、その人の性質を求める人が集まる。
とすると、どんな人が集まってほしいかを逆算して自分を矯正することもできる。
けれど、私は不器用なのでありのままでしかあれないし、
いま集まってくれる人たちをとても大切に思っている。
だから、せめて今いる人たちとずっと引力しあえるようにあろう。
分厚い本になりたい。
表紙ばっかり可愛くて内容の薄い雑誌じゃなくて、
活字でちょっと面倒でも読み終るのが惜しいくらいの中身がある本に。
本のお話は話はつづいていく。
表紙ばっかり可愛くて内容の薄い雑誌じゃなくて、
活字でちょっと面倒でも読み終るのが惜しいくらいの中身がある本に。
本のお話は話はつづいていく。
顔をみると元気がなさそうなのでたずねると
体の調子が悪いのだと言う。
私は心配になって、おおきなお世話かと思いながらも
何か作ろうかと言った。
帰り道、ドラックストアのあとに
スーパーで買い出しをした。
たいしたものは作れないけれど、
消化に良さそうで、元気も出るものがいいなと
カゴに材料を入れる。
相手は何を食べたいも言わず、元気のないこどもみたいだ。
おうちで私が台所に向っている間
そちらはテレビに向っていた。
すぐに出来上がって大きなお椀に体が温まりそうなそれを
少なめにおたまでよそってテーブルに置いた。
自分に美味しくても、人の味覚って絶対じゃない。
それでも決して誰が食べてもまずくはないと思うんだけれど
自信なんてない。
まして、人の家にお願いもされてないのに上がり込んで
勝手に作って自分の烏滸がましさに
いまさらいてもいられなくなった。
それでも、その人がさとうのご飯に納豆と葛根湯で
体調の悪い夜をやり過ごすことがいやだったのだ。
(えごだー)
夜も22時を過ぎていた。
何も言わずに大きなお椀を傾けてスプーンで
それをかつかつたべている姿を見る。
口に合わなかったかな。。。
私は半分そっとしてもう半分は逃げるように、
「帰るね」と、玄関でブーツを履きだした。
ドアノブに手をかけふりかえるとその人がヒョンと立っていた。
こちらをみて「全部食べた」と、いった。
ぎこちない笑顔で。
両手で持ちこちらに向けられたお椀は空だった。
「うん」
うまく言葉が出なかった。
いたたまれないとも違う、胸がギュッとした。
まるで、親に見放されまいと気丈に振る舞うこどもみたい。
精いっぱいの感謝なのか。
素直に自分の感情を表現する方法を知らない不器用な人なのか。
なんなのだろう。
けれど、鈍感な私はお大事にと言って部屋を出た。
相手を思いやることよりも不安や悲しい気持の方が上回ってたからだ。
自分を優しくなくてなくてとても押し付けがましい人間だと思った。
まずかったかもしれないし、
嫌われているかもしれないのに、
時間が経ってからその時を思いだすと
愛おしい気持ちがフワと沸いたので、
やはり本当に図々しくおめでたい人間なのだなと思った。
そして、その人がはやく元気になることを祈った。
体の調子が悪いのだと言う。
私は心配になって、おおきなお世話かと思いながらも
何か作ろうかと言った。
帰り道、ドラックストアのあとに
スーパーで買い出しをした。
たいしたものは作れないけれど、
消化に良さそうで、元気も出るものがいいなと
カゴに材料を入れる。
相手は何を食べたいも言わず、元気のないこどもみたいだ。
おうちで私が台所に向っている間
そちらはテレビに向っていた。
すぐに出来上がって大きなお椀に体が温まりそうなそれを
少なめにおたまでよそってテーブルに置いた。
自分に美味しくても、人の味覚って絶対じゃない。
それでも決して誰が食べてもまずくはないと思うんだけれど
自信なんてない。
まして、人の家にお願いもされてないのに上がり込んで
勝手に作って自分の烏滸がましさに
いまさらいてもいられなくなった。
それでも、その人がさとうのご飯に納豆と葛根湯で
体調の悪い夜をやり過ごすことがいやだったのだ。
(えごだー)
夜も22時を過ぎていた。
何も言わずに大きなお椀を傾けてスプーンで
それをかつかつたべている姿を見る。
口に合わなかったかな。。。
私は半分そっとしてもう半分は逃げるように、
「帰るね」と、玄関でブーツを履きだした。
ドアノブに手をかけふりかえるとその人がヒョンと立っていた。
こちらをみて「全部食べた」と、いった。
ぎこちない笑顔で。
両手で持ちこちらに向けられたお椀は空だった。
「うん」
うまく言葉が出なかった。
いたたまれないとも違う、胸がギュッとした。
まるで、親に見放されまいと気丈に振る舞うこどもみたい。
精いっぱいの感謝なのか。
素直に自分の感情を表現する方法を知らない不器用な人なのか。
なんなのだろう。
けれど、鈍感な私はお大事にと言って部屋を出た。
相手を思いやることよりも不安や悲しい気持の方が上回ってたからだ。
自分を優しくなくてなくてとても押し付けがましい人間だと思った。
まずかったかもしれないし、
嫌われているかもしれないのに、
時間が経ってからその時を思いだすと
愛おしい気持ちがフワと沸いたので、
やはり本当に図々しくおめでたい人間なのだなと思った。
そして、その人がはやく元気になることを祈った。