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Qのブログです。星や音楽が好きです。好き勝手に書いてます。2007年12月より開始。
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例えば、もの凄く似た性質を持ってる二人がいて
馬が合えばテレパシーみたいにうまくいくが
反っちゃうと全然うまくいかないと思うのは
人の性質をパズルの形にたとえると
もの凄く似た性質を持ってる二人は似た形のパズルを持っていて
上に乗っければぴったりだけれど
横ではめようとすると同じ形だから全然うまくいかない
と思うからです。

性質と言っても生い立ちから知識の内容からその要素はいろいろあると思うのですけれど
特殊性を極めるとどんどん同じ人間はいないということになってきて
つまりぴたりと重なり合うものはいないけれど
様々な人とうまくやっていく可能性が増えるのではないかなと思う、
もちろん完璧に同じ人間なんていませんというのはその通りなのだけれど。

特殊になったからと言ったって決して孤独に必ずなるわけではないと思うのは
人は気持ちを伝えることができるからです、
人は理解とか共感とかできるんじゃないかなと思っているからです、
それは願いにも近い、
気持ちを共有できればそこで重なることができて
組み合わさることができるのではないかなと思うんだけれど、どうなの?
自然とそうなる時に自分が相手と違う性なんだなって初めて自覚して
そうであることを嬉しく思う、というと
同性同士だった場合がすごく悲しいみたいだけれどそうではなくて
異性だと隣にはまって同性だと上にぴったりと言う感じなのではないかと
想像してみる、けれどわからないわ。

腹を立てる時や理解に苦しむときわたしは
相手をもしかして私かもしれないと思うことでうまくやる方法はないんかしらと
思考錯誤したりする、
相手があまりに自分と違う時もいつでも
相手の話を聞きたいと思う
いつでもだいたいいつでも聞きたい
のかもしれない
しりたい
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無題
天地人と言う。
天の時とは計るもの。タイミングとは合わせるまた満ちるを待つもの。

地はフィールド、また環境、状況、場面。
そして大衆、集団にあい対してはこれも「地」と見なす。

では人とは
人は自分だ。およそ個人にとっては、自分以外を本当に知ることなど出来やしない。
これまでのあらゆる蓄積が「特殊性」を生むとは君の言だ。

だから1on1で対峙した「人」と話をする時、自分の地層から相手に対応した土を探してその事を言うのは好いように思う。
それが見つからなければ、似た土なり鉱石なりを探すのも好い。
自分が相手に「同じ部分」を感じるまた感じてもらうことができれば、「彼に似た自分」がどう扱われたかったか、を思い出せるという気はする。
君の考え方は好ましいと言われるだろう。


しかして君が、その姿勢を保ちつつ尚相手への理解が及ばぬと知る時、君が真に計るべきなのは「天」また 「地」に該当する要素であったのかも知れない。

「人それぞれだよ」
「何事にも時と場合があるからね」

と人は言う。

2009/05/29(Fri)21:23:39 編集
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