Qのブログです。星や音楽が好きです。好き勝手に書いてます。2007年12月より開始。
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人の縁って何なんだ。
(長いんだ、これが*笑*)
合縁奇縁とはよくいったものです。
面白いものです。
なんか、縁には無常にも似たもんがある気がする。
はかないっつーかさ。
はかないは人の夢っつーかさ。
どうしようもないのよ。
あのおっちゃんが、また来世であいましょーちゅーてたのも、
今ならあの時よりはいくらかは素直に、そうだな、と思う。
あのおっちゃんて、2時間ほど話し込んだ行きずりの知らないおじさん。
あのときの私には出会いをその場で終わらせることは理解できてもやっぱり悲しかったけれど。
出会いを終わらせることは、縁を終わらせるわけではないんだもんな。
縁に関係なく人はやっぱいつか別れるんだもんな。
体には期限があるからな。
別れても、また会えるしな、巡って。
それが、この世界でなのか、次の体なのかは知らんがな。
せめて、その人に報いるっていったら恩着せがましいが、
出会った人にまた繋がるためにも一生懸命生きれば良いんだと思う。
世界の全てのことは、この1リットル足らずの脳みその謎の中に詰まっている。
忘れなければ、まだ自分の脳の中にいるんだな。
全てのことは、能の中のシナプスの発火だもんな。
忘れたときが本当の終わりで、忘れてしまえば忘れたこともわからないんだもんな。
忘れられてしまうことが、感動系映画のテーマに使われるのはそのためなんだな。
別れることを、悲しむことは、本当は無いのよな。
...恐ろしい気もするがな。
昨日の会話で「歳とると失う物は増えて得る物は少ない」と、
聞いたことと照らしてみると、あの時のおっちゃんにとって、
私との繋がりが新たに出来るということは、
将来的に失うものを新しく得るという意味だと考え方も出来るわけだしな。
つまりは、人のことを知る(深い繋がりを持つ)ことは同時に失うものの大きさを増すことなんだな。
しかし、死んでも生きてても一緒の人生じゃやっぱりつまんないか、
と、私は思うんだよ。
だから、辛いのもひっくるめてそれでもやっぱり、
面白く生きてきたいと思ったりするんだがな。
だから、興味がある人や友達で居続けたい人のことはやっぱり知りたい。
例え、それが将来的に「あのころは若かった」と言われる行動であったとしても、
そうしつづけたいよ。
目下の所は。
しかし、少し話をもどすと、つまりは、
生きることをしようとすればするほど、悲しいことの増加と裏腹なのな。
これがまさに、憂き世ってことなのか。
それでも、自分がどんなに小さくでも何かに影響を与えられたら、
死んでも、完璧には死なない。
その、影響の残っている間は。たぶんね。
同じクラスで、結構仲良くてもクラスが解消してしまったら終わる関係もある。
そこまでの縁だったのか。
そこで、延長を申し込むことも出来るが、相手に断られたら終わり。
変なプライド捨てて、延長申し込んだお陰で一生の仲になるかもしれない。
逆にOKって言われてもこっちからはなれることもある。
終わりと思ってたのに、また会ったり、むしろ仲良くなったりすることもある。
全然趣味が違うのにまだ続いてたり。
それが合縁奇縁なんだろう。
面白いね。
...てか縁って、なんだww
縁と運命を比べてみる。
縁の方が運命に比べて当人が自由じゃないか。
縁って、善悪を超越した所にあるけれど、
運命って、善し悪しという感覚に直に連結している気がする。
つまり、
縁によしあしは無くて、あるとしたら、
その人が良い人か悪い人かに所在がある。
運命は、それ自体に善し悪しがある感じだ。
縁の方が自由でいられる感じがする。
運命って重くない?w
運命って言葉は好きじゃないけれど、縁は好きだな。(超主観的w)
なんでかな。
縁は両者もしくは人と物の関係のことを指すけれど、
運命って人に降り注ぐ出来事とか作用だからかな。
...縁は有り難いけれど、運命は全然有り難かないよ!!!
むしろ時に邪魔だよ!!!(そこまでゆうことないっしょやwww
脈絡ないし、無駄に長いな。
(もし読んでくれた人がいたなら、ありがとうございますw)
完。
合縁奇縁とはよくいったものです。
面白いものです。
なんか、縁には無常にも似たもんがある気がする。
はかないっつーかさ。
はかないは人の夢っつーかさ。
どうしようもないのよ。
あのおっちゃんが、また来世であいましょーちゅーてたのも、
今ならあの時よりはいくらかは素直に、そうだな、と思う。
あのおっちゃんて、2時間ほど話し込んだ行きずりの知らないおじさん。
あのときの私には出会いをその場で終わらせることは理解できてもやっぱり悲しかったけれど。
出会いを終わらせることは、縁を終わらせるわけではないんだもんな。
縁に関係なく人はやっぱいつか別れるんだもんな。
体には期限があるからな。
別れても、また会えるしな、巡って。
それが、この世界でなのか、次の体なのかは知らんがな。
せめて、その人に報いるっていったら恩着せがましいが、
出会った人にまた繋がるためにも一生懸命生きれば良いんだと思う。
世界の全てのことは、この1リットル足らずの脳みその謎の中に詰まっている。
忘れなければ、まだ自分の脳の中にいるんだな。
全てのことは、能の中のシナプスの発火だもんな。
忘れたときが本当の終わりで、忘れてしまえば忘れたこともわからないんだもんな。
忘れられてしまうことが、感動系映画のテーマに使われるのはそのためなんだな。
別れることを、悲しむことは、本当は無いのよな。
...恐ろしい気もするがな。
昨日の会話で「歳とると失う物は増えて得る物は少ない」と、
聞いたことと照らしてみると、あの時のおっちゃんにとって、
私との繋がりが新たに出来るということは、
将来的に失うものを新しく得るという意味だと考え方も出来るわけだしな。
つまりは、人のことを知る(深い繋がりを持つ)ことは同時に失うものの大きさを増すことなんだな。
しかし、死んでも生きてても一緒の人生じゃやっぱりつまんないか、
と、私は思うんだよ。
だから、辛いのもひっくるめてそれでもやっぱり、
面白く生きてきたいと思ったりするんだがな。
だから、興味がある人や友達で居続けたい人のことはやっぱり知りたい。
例え、それが将来的に「あのころは若かった」と言われる行動であったとしても、
そうしつづけたいよ。
目下の所は。
しかし、少し話をもどすと、つまりは、
生きることをしようとすればするほど、悲しいことの増加と裏腹なのな。
これがまさに、憂き世ってことなのか。
それでも、自分がどんなに小さくでも何かに影響を与えられたら、
死んでも、完璧には死なない。
その、影響の残っている間は。たぶんね。
同じクラスで、結構仲良くてもクラスが解消してしまったら終わる関係もある。
そこまでの縁だったのか。
そこで、延長を申し込むことも出来るが、相手に断られたら終わり。
変なプライド捨てて、延長申し込んだお陰で一生の仲になるかもしれない。
逆にOKって言われてもこっちからはなれることもある。
終わりと思ってたのに、また会ったり、むしろ仲良くなったりすることもある。
全然趣味が違うのにまだ続いてたり。
それが合縁奇縁なんだろう。
面白いね。
...てか縁って、なんだww
縁と運命を比べてみる。
縁の方が運命に比べて当人が自由じゃないか。
縁って、善悪を超越した所にあるけれど、
運命って、善し悪しという感覚に直に連結している気がする。
つまり、
縁によしあしは無くて、あるとしたら、
その人が良い人か悪い人かに所在がある。
運命は、それ自体に善し悪しがある感じだ。
縁の方が自由でいられる感じがする。
運命って重くない?w
運命って言葉は好きじゃないけれど、縁は好きだな。(超主観的w)
なんでかな。
縁は両者もしくは人と物の関係のことを指すけれど、
運命って人に降り注ぐ出来事とか作用だからかな。
...縁は有り難いけれど、運命は全然有り難かないよ!!!
むしろ時に邪魔だよ!!!(そこまでゆうことないっしょやwww
脈絡ないし、無駄に長いな。
(もし読んでくれた人がいたなら、ありがとうございますw)
完。
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