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Qのブログです。星や音楽が好きです。好き勝手に書いてます。2007年12月より開始。
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授業最初に先生が話し出したのは、やり場のない想いだった。

その話題は一通り知っている、終日ニュースで報道されていたから。一時代を築いたプロレスラーの死。けれど彼がリング上でセンセーショナルな最後を迎えたこと以上の衝撃を先生は受けていた。

「今の30、40代の中では有名でねーファンだっただけにショッキングでしたね。今のみなさんはあまり知らないのかなぁ。そうかぁー」


残念そうに言う。私たちの世界の見え方が少し違うからだ。


人と人の違いのほとんどは2つ、歴史と個性だ。歴史は蓄積された経験と知識。その人がもつ歴史によって世界の見え方は違う。個性(私はこの言い方が余り好きじゃないんだ。私たちの世代は個性的であることを強要されたように感じていて。しかし実際に個性とは強要されるまでもなく備わっている。)はその人自身。

私たちは歴史を、相手の情報として話を聞きしることと、自分の情報として取り入れて相手に近づくことができる。個性はそれぞれ違ったままでもなんでもござれ。


私は三沢の時代をしらない。彼氏に勧められ、ネットで「ジャンボ鶴田vs三沢」の試合を見る。ヤバい、熱い。試合も審判も観客も。これか、と思う。1991年、私は小学校前頃か。

動画をドキドキしながらみる。リアルタイムで見ているかのように。感激する一方で、動画をどこか懐かしくも感じながらみている、ーー4・50代の人たちが昭和に感じるモノに近いんだろうな。

動画視聴者にはリアルタイム世代から義務教育真っ只中までいる。画面上に感想(歓声に近い)が文字となり右から左に流れる。内容はそれぞれ。リアルタイム世代は当時を懐かしんでおり、それ以外は知りたいという興味を持ってみている。

今同じ試合を共有してることが私にはなんだか嬉しい。

その嬉しい気持ちを安易と呼ぶ人もいるだろう。でも私は身近な大切な人と同じように、まだ出会ったことのない仲良くなり得る可能性を持った人たちを受け入れたい。顔を知っている知っていないに関係なく。結局多くの人は殺しは遠慮したくてしあわせになりたくて、大元は近くにあるのだと思っている。もちろん、顔を知り近くにいる人たちを私はもちろん大切に思っている。

見終わって私は三沢のことをほんの少しだけ知った。そして三沢を惜しむ気持ちもほんとに感じた。たとえリアルタイム世代には足らずともこの気持ちは私の本物だ。


人と人との更なるつながりは興味を持つことから生まれる。興味を持つことと、情報を開示すること。その交流が容易い自由で素直な人になりたい。私はわがままなのでもっと深くつながりたいの、たぶん。
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無題
俺は全日より新日派のにわかファンだからあんまり思い入れはないんだよね~。
正直、びっくりはしたけど、悲しいって気持ちにはなれなかったよ。

見え方が違うのはあたりまえじゃね?
ようはどんな形であれ、その人に関わりを持つか持たないかだと思うよ
2009/06/16(Tue)21:58:26 編集
ふむふむ
プロレスは大きくみっつの流派とインディーズみたいなのがあるのね。最近しった!

> 見方が違うのは当たり前じゃね
うん、私もそう思う!

> 関わりを持つか持たないかだと思うよ
的を射!その通りだと思う。
2009/06/18(Thu)06:17:59 編集
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